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YAYA’s Modern Poetry

YAYAさんの詩のご紹介。 土曜美術社出版--地上の生活より--

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洗濯

重力に逆らうためにはエネルギーが要る
朝起きるとまず
浴槽から昨夜の残り湯を
電動ポンプを使って洗濯機へと汲み上げる
これは水資源の節約とともに
コンパクトバイオ洗剤の効力を高める意味がある
湯量は洗濯物の重さによって
洗濯機が自動的に決定するが
過去数年間の成績では
今ひとつ当てにならない様子なので
手動で私が取りしきる
その後自動に切り換えると
あとは仕上がりの電子音が厳かに鳴り渡るまで
約三十分を台所で有意義に過ごす

知人のOさん宅では
狭い敷地にエレベーター付鉄筋三階建てを新築したとき
庭を失い干し場をなくした
洗濯物はすべて大型乾燥機で乾かしますと喜んでいる
私はどんなことがあっても
洗濯物を美しく干す
色とりどりの大小の、風になびく衣類は
さわやかな生活の幸福である
たとえ残された人生の大半が
洗濯と掃除と買物と炊事と知的あるいは非知的井戸端会議の
単調な繰り返しであったとしても
そして平凡の向こうに
信じられない人類の滅亡の影が
少しずつ迫りつつあるとしても
最後の朝にも
私はきっと籠一杯の洗濯物を太陽と風にさらす

それから地球の反対側で
どこまでも遠い夜空を見ている天文学者のことを思う
彼は光が届ける悠久の熱い過去を飽かず眺める
それ以上先は見えない宇宙の地平面には
まだ生命も何もない
はじまってわずか十万年程経ったころの宇宙の
電子の霧が見えている

買物

出掛けるときは一切を捨てて出る
弾き慣れたピアノ
磨いた箪笥
愛読書
子供たちには留守番を言い渡し
三十分間のために必要なだけの金銭を持ち
路上に降り立つと一度だけ振り返って
しっかりと我が家を眺める
(昔旅先の急病で亡くなった
Aさんの最後の朝のように)
私は近くのスーパーへ買物に行く

一般相対性理論によると
質量は空間を歪曲させる
すべての物体は質量を持っているから
私の質量によって
気の遠くなるほど微かに空間が歪むはずだ
自転車を停めスーパー入口に向かって歩く
ゆっくりと空間の歪みも移動していく

(私が見たいのは現在(いま)なのです
光よ
たとえば一億五千万キロメートルをあなたが駆けて
伝えてくれる
八分前の太陽ではなく
現在の太陽の姿が見たい
過去ではなく
未来でもなく)

豚肉薄切り ハム キュウリ
じゃがいも スパゲッティ:
今日の私に選ばれていく食物たち
冷えた店内で私の頭が冴えてくる

さっき別れてきたものたちが現在
どのようにして在るのかが分かる気がする
少しほこりを被ったソファー
テレビを見ている子供の笑顔
離れていて
見えないものがくっきりと見えてくる

(凍りつく直感で
現在を見通すことができるかもしれないのです
闇よ
たとえばあなたが律儀に隠す
宇宙の果てを
もっと遠い私の心の底辺を
もどかしい日常が晴れて
一瞬――――)

レジの前で私は佇ちつくす

私の子供たちが幼かった頃
私の手は魔法の手だった
彼らはお腹が痛くなると私の手を求め
衣服の上から
優しくそして根気強く私が触れると
いつのまにか治ってしまうことが多かった

それはただ冷えた体を温めたにすぎなかっただろうか
大人の手は幼児の腹部に熱を与えるのに充分な大きさだった?
けれども手は私の手でなければならなかった
世界中で他の誰の手でもなく
私の手に彼らを癒す力があるのだと
無心に彼らが信じ私も信じることができたので
それで力は科学を超えて
確かに働いていたのではないかと思う

私の子供たちが幼かった頃
私は特別な手であり
脚であり胸であった
そして目であり
声でありにおいであった

いつからか
魔法の力をなくしてしまった私の手
子供たちはすでに青年となり
その眼差しは専ら社会の方へ向けられているが
巣立つ前に
私は私の普通の手で彼らの輝かしく困難でもある将来のために
伝えておく無言のメッセージをそっと家の中にちりばめたい
苦労もあるが
かけがえのない愉しみを与えてくれる子供たちに
ありがとうの気持ちを込めて

逆柱(さかさばしら)

古来木の根もとの方を上にして立てた柱は
家鳴りなど不吉があるといわれるが
日光東照宮の陽明門では
中国伝来のグリ紋と呼ばれる渦巻き文様の彫られた十二本の柱のうち
一本だけが逆柱になっている
広辞苑によると
「結構に過ぎることを恐れて」わざと逆さまにしたらしいのだが
NHKの番組では神官による説明があった
およそ建造物は完成したときから崩壊への道を辿る
そのため柱を一本逆さまにして未完成としたのではないかとのこと
他の社寺でもみられる建て方なのだそうだ

私が二人の子を産んだとき
彼らに小さな一本の逆柱を与えることができていれば…
いえ人間なんて誰も皆逆柱だらけで未完成の代物に違いないが
本当は子たちは産んだときよりさらに遡って
孕んだときよりすでに老化が始まっていたのではないか
建物だって完成したときからではなく
建て始めた瞬間から朽ち始めるのであり
それがこの世に在るということかもしれない

希望も絶望も様々な人の思いをその身に引き受け
陽明門の「魔除けの逆柱」は今日もまた
静かに立っているだろう

地上の高さ

赤道半径6378キロメートル
極半径6357キロメートル
わずかに両極から押しつぶされたような回転楕円体の地球を
およそ1000キロメートルの厚さの大気が取り巻いている
大気圏のうち高さ10キロメートルまでを対流圏といい
水蒸気を多く含んだ濃い大気が対流している
大型のジェット機が飛ぶのは
高さ10~50キロメートルの成層圏の最下方で
大気が薄くいつも晴れているところ

ジェット機に乗っているのは地上の住民たちだが
私は風や雲・雨などの気象の変化がみられる
地表から10キロメートルまでを
〈地上の高さ〉と思う
近所の人たちと
「今日は良いお天気ですね」
「洗濯物が乾きますね」とか
「雨模様になってきました」
「水遣りの手間が省けます」とか幸福な会話を交わしながら
時には激しい嵐に耐え
あるいは節水を呼びかける役所の車のアナウンスを聞き
洪水や旱魃の被害報道には
一体お天気を調節することはできないのかしらと
悔しさにかられながら過ごすのが
地上の暮らしであるから

どんな気紛れな実験に
私たちは巻き込まれていることだろう
46億年前巨大なフラスコの中に地球が創られ
ゆっくりと冷えてゆくマグマに
水蒸気が雨となって降り注ぎ
生まれたばかりの熱い海の中で
生命誕生への化学反応が起こり……
そして進化したヒトという生物が
そろそろこの星を破壊してしまう頃だろうかどうだろうかと
研究している存在がいたとしても
「今日は随分暑いですね」
「さっぱりしたものを食べたいですね」とか
「寒くなりましたね」
「ストーブを出さなくては」とか言いながら
私は地上で生きてゆく

山上の魚

私は夢に見た
中国チベット自治区で最も高所にある
湖プマユムツォの生物調査の計画を知り
幅30キロメートルの
広く蒼い「天上の湖」の岸辺には
太古より音もなく群れて泳ぐ透明の魚がいると
それは太陽の光を浴び虹色に輝く
生まれることも死ぬこともない1万匹の小さな魚
ヒマラヤの積雪よりも白く深い魂を持ち
10万年のサイクルで繰り返される
間氷期に現われて氷期には消え失せる…

標高5千メートルは天に近いか
地に近いのか
このほど日中合同学術調査隊が実際に捕獲したのは
鱗がなく6本のヒゲがある茶色いドジョウに似た魚と
2種類のマスに似た魚の稚魚、成魚、そして遺骸
魚は中国全土に分布するありきたりの魚であった
結氷したプマユムツォに棲んでいた地上の魚
特別な夢の魚はいなかったけれど
世界でも有数の高山上の大きな湖に
平凡で逞しい命の仲間が生きていた

柳内やすこ詩集『地上の生活』
(土曜美術社、2002年11月発行予定)より

緩やかな坂の多いニュータウンの
片隅のとある坂の中ほど
ちょうど現在私の家の立っているあたりに
以前は1本の大きな桜の木が
堂々と立っていたという
古くからの地元の人が
毎年春に花見に来ていたんだよという

私が前に住んでいた家は
義父名義のまましばらく空家になっていたが
昨年隣家からの出火で類焼し
今は更地になっている

無くなってしまうのではない
木も家も人も
それぞれに懐かしい思い出を残して〈変わっていく〉のは
物質が変化するという世界の法則のためだ
切り倒された桜の木や家は
焼かれて灰になり今もどこかに存在している
焼死した隣家の優しいおじいさんも―――

そしていつかまた新しく再生されるだろう
46億年前 地球が誕生したとき在った原子や分子が
どのような遍歴を重ね
木となり家となり人となったのか
〈創造〉の手は今もこれからも
休められることがないのだろう

春の1日
住み慣れてきたニュータウンの家の中で
以前立っていたという美しい木に想いを馳せる私の
知っている場所で
知らない場所で

柳内やすこ詩集『地上の生活』
(土曜美術社、2002年11月発行予定)より
幸福

日々の通い道
昨年の水不足で枯れていた
街路樹が数本
枯れた姿でようやく風景になじむ頃
ふと植え替えられている
そんな風に
地上で
いのちが埋めていた空間は
別のいのちに受け継がれていくのだ
何度でも
それがこの世の幸福である
逝く人の占めていた空間は
1本のポプラの木の空間よりも
小さいが
たとえ諦めの夏が過ぎ
悲しみの秋を終え
後悔の冬が暮れ
希望の春を迎えても
決してたやすく置き換えられることはなくとも

いつか百年の時が経てば
私の後にもきっと
新しいいのちがあるように

柳内やすこ詩集『地上の生活』
(土曜美術社、2002年11月発行予定)より

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