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つゆこのニューヨーク通信

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つゆこのニューヨーク通信 Vol.1
ニューヨークワールドトレードセンター懐かしの豊中1中の皆さま、こんにちわ。つゆこです。
旧姓露峰、豊島小学校出身です。
87年から人生の同伴者(夫)
Mと
ふらふらとニュ-ヨークに渡って
そのまま居着いております。
6歳になる日本語がへたな娘、R子がおります。
ちなみに私は日本語教師です。

昨年9月11日のWTCのテロの時は大変でした。
びっくりして身体の毛が総毛立ちました。
よく言われる心臓が止まるかと思うっていう衝撃、
ほんまにあるんですね。。
当日、娘のR子はマンハッタンの小学校に、
Mと私は対岸のブルックリンの家におりました。

あわてて迎えに行こうとしても、地下鉄は
全て運行禁止、マンハッタンに入る橋は全て閉鎖!
ブルックリンに住む両親一同、おおあわてでした。
学校からはこのまま戒厳令が続くと、
学校にお泊まりさせる用意をしています、って
メールが来るし、、。

マンハッタンに働きに出ている人たちが子供を
迎えに行って、橋を渡って帰って来ました。
(車は通行禁止だけど、歩いて出るのは許された。
マンハッタンに入るのは歩いてでも禁止。)
そのうちのひとり、お友達のお父さんと一緒に
R子は歩いて帰ってきました。

学校は14丁目にあるのだけど
そこから59丁目まで歩いて
さらに人でごったがえすクイーンズボロブリッジを
クイーンズまで渡りきって
そこからブルックリンに帰って来ました。
中津から服部まで歩いて帰って来たって感じです。

写真は11日にうちの屋根から撮ったもの。
WTCは2つとも崩壊した後です。
しばらく匂いと煙がすごかった。

ところであれから半年たってチャイナタウンでは
なんと、燃え上がるワールドトレードセンターの
”絵はがき”が売られとります。
それも様々な角度から撮られたやつ、いろどりみどり。
ど派手ーな天然色。ダイハードも真っ青って感じ。
やっぱり中国人ってとにかくすごい。
なんなんだー、この商魂は?
日本で阪神大震災絵はがき、まず
売られないものねー。写真集とちがって、
絵はがき、、。この落差は何なんでしょう?
写真集は負の遺産として受け止めるって行為
のように思えるんですが、絵はがきって
やっぱり「ねえねえ、見て見て」の世界ですからね。
それと、ビンラディンの顔が印刷された
ビンラディントイレットペーパー!もあります。
(これはチャイナタウンは関係なく、アメリカ人の発想。)
私としてはあの人の顔でお尻をふきたいとは
思わないんですけどねー。
やっぱり、「シット!」と侮蔑しながら拭くんでしょうか??

とまあ、いろいろ話題が飛びますが、気ままなNY通信
これからもお届けしたいと思います。どうぞよろしくー。
ひまな人は感想をください。

つゆこ
つゆこのニューヨーク通信 Vol.2
スターウォーズ、日本は夏休み封切ですか?

アナキン君がいつダースベーダーになるかワクワクして見に行ったのに、どうも今回も善玉で終わってしまった。
ちょっと彼の気性の荒さが今後、悪の道にイージーに走ってしまうのか??というお膳立てが用意されているのみであった。

アミダラ姫とのロマンスがメチャ鼻についたけど、ま、おもしろかった。

お花畑を二人で走り回るところなんか、クサイぞー。
でも、ヨーダの活躍するところが映画館中、
いけいけ、それやれ、の拍手の嵐でした。
やっぱ、映画館 っておもしろい!日本でも映画館でW杯みたいに興奮するかなー?

映画といえば。

毎週、金曜日にR子(うちの一人娘、現在小1)の学校で

Community Meeting
なる朝礼があるのです。
父兄(親戚、友人、知人、誰でも参加できる)も参加して歌ったり、子供の詩の朗読や演劇を見るという楽しいものです。

教室で仲良しツーショットそこである日、ラファエロという(R子が大の仲良しの男の子。金髪でメチャかわいい)男の子のお祖父さんがイタリアから来ていました。
ラファエロのお父さんはイタリアと英国のハーフだとは聞いていましたが、そのお祖父さんのかっこいいこと。
うーん、しぶい!!
荒野の用心棒すごい男前。70歳を過ぎていると思われるが、、、。

で、Nice meet you! と握手を交わし、世間話をしたのですが、私が日本人だと言うと、”日本には何度も行ったことがあります。私はトシロー・ミフネの友達です。”

というのですよね??

で、あとで他の友人とその話をしたら、
「サヨコ、気がつかなかったん?ラファエロのお祖父さん、フランコ・ネロだよ。

お祖母さんはヴァネッサ・レッドグレイブ

(英国の女優)やで。
(ここんとこの大阪弁のノリの英語で)

と教えてくれた!な、なんと!

キャー!フランコ・ネロと握手しておしゃべりしちゃったー!

と、あとで思いっきりミーハー気分になった、私でした。

昔、よく日曜洋画劇場とかで見たよね、マカロニ・ウエスタン。

(ちなみにアメリカではスパゲティ・ウエスタンと呼びます。)
まさか自分の子供とフランコ・ネロの孫が同じクラスになるなんて、誰が想像したでしょうか?(誰も想像せえへんちゅーに。)

余談ですが映画はトールキンのロード・オブ・ザ・リングがお勧めです。日本でも今、上映中ですよね。
うちのR子は熱烈なハリー・ポッターファンですが、なんといってもこれはファンタジーの原点ですわ。

つゆこ
つゆこのニューヨーク通信 Vol.3
今回はうちの娘、R子の学校のお話しですよ~。

9月になって、彼女は2年生になりました。
入学して4年目。
幼稚園の年少さん、年長さんもあるので、 R子は計8年、ここにお世話になります。
総人数260名足らずの小さな学校です。

彼女が通っているのはマンハッタンにある公立の小学校ですが、
名前は” Children’s Workshop School ”といって日本では聞きなれないAlternative School(アルタネィティブ スクール)です。
長いのでここからはANスクールと呼ぶことにします。

それぞれ子供の机が前を向いていて、先生が教壇に立って勉強する一般の小学校
とは違い、学校独自のポリシーと授業方法を持っているのがANスクールの特徴です。

教室の中に机はありますが、4人組の丸テーブル
(あるいは四角)に子供たちは向かいあって座ります。

教室の3分の1を大きなカーペットが占めていて、そこで皆な車座に座って算数でもなんでも主な授業をします。書いたり何か作業をするときだけテーブルを利用します。
読書タイムは椅子に座る子、カーペットに寝そべる子、さまざまです。

学校は教科書を一切使いません。
なので先生は大変です。とてつもなく長~いカリキュラムを作り、学年はじめの保護者説明会で 1年間、何を学んでいくのか説明し、かつ実行しなければなりません。
そこで毎年、保護者からスルドイ質問攻めにあいます。

クラスは全員で24名。R子のクラスには2年生が12人、3年生が12人います。
(幼稚園は18名を限度としています。)

ANスクールのユニークなところは学年が皆、だぶっているところです。

幼稚園は年少さん、年長さんが同じクラスにいることから始まり、年長さんと1年生が一緒、1年と2年が一緒、2年と3年が一緒、 3年と4年、4年と5年、5年と6年、というようにそれぞれのクラスには学年が半々いるのです。

つまりたとえば同じ2年生でも 1年生と一緒のクラスで学んでいる子供もいれば、 3年生と一緒に学ぶ子供たちがいるというわけです。

学力が身についていく時期の個人差を考えてのこともあるし、情緒面、つまり勉強ができても協調性がないとか、複合的なことを親と教師が話し合ってどちらのクラスに行くか決めます。そこが Alternative = 二者択一の School と呼ばれる所以です。

いつも先に先に行くから、優秀だとかそんなことは全然ありません。
ゆっくり身につけた方が後々学力がしっかりしてくるから下のクラスを好む親も大勢おります。

クラス間の交流もさかんで、6年生の子供たちが幼稚園クラスに行って、それぞれのパートナーに本を読んであげたりします。

R子の学校のユニークさの筆頭を上げるならいろいろな国の子供たちがいること。
人種を偏らせない、それがこの学校一番のポリシーです。
子供たちのルーツは世界33カ国以上から来ています。
まあ、こんなことができるのはNYならではですが。

1年に2回、成績表を持って帰りますが、何がどうできたかという数字評価も、もちろんあるにはあるのですが、それより私を驚嘆させるのは子供が学校でどんな子と友達で、どんな風に学んでいるかが説明された4ページぎっしりの長~い、長~い、先生のレポートです。

これはモンきり型のお決まりではなく、我が子をこんなに深く見てくれているのかと
ただただ驚くばかりのものです。
全員の子供にこのレポートを書くのですから日頃の先生の努力に頭が下がります。

と、そんな学校のアフタークラブで私も日本語を教えているのですが、
その話はまた次回にでも。

つゆこ
つゆこのニューヨーク通信 Vol.4
お葬式って、皆さん何を思い浮かべるでしょう?
自分のお葬式はこんな風であってほしいって、
考えたことがありますか?

今秋、こっちで親しくしているジュディという
友人のお父さんが亡くなりました。
春にした心臓のオペレーション
の術後が思わしくなく、半年あまりの闘病
生活の後のことでした。67歳でした。
家族ぐるみのおつきあいだったので
ニューヨークは北の果てのジャーマンタウン
という田舎にお葬式に行って来ました。

結論から先に言いますと、それはそれは素晴らしい
お葬式でした。

お通夜(こっちでもお通夜があるんですね)の会場
の入り口には故人の写真が印刷された生い立ちの
記録がパンフレットになってご自由にお取りくださいと
置かれています。

一歩部屋に入ると思い出の品々が並べられています。
好きだったもの、愛読書、愛用の眼鏡、ペン、卒業証書、
趣味の品、家族の写真、お気に入りのジャケット、etc.
まるで小さな展覧会場です。
それぞれの品々に家族の懐かしい一言コメントが
つけられています。これはどこそこに
旅行に行ったとき買ったもの、何々の記念のもの、とか。
お通夜は故人をしのんで昔話に花を咲かせてひとまず
終わり。

あくる日はいよいよ教会でお葬式です。
教会ではまず神父さんが、「さあ、彼の人生を
”お祝い”しましょう!」と故人の生い立ちを
簡単に紹介します。
そして家族、親戚がそれぞれ壇上に上がっては
今までもっとも楽しかった、おもしろかった思い出を
順々に語るのです。
それはおかしな失敗談であったり、
故人の趣味の話であったり、さまざまですが、
ほとんどが愉快な思い出話なので爆笑、
泣き笑いの渦となります。
中には詩を捧げて朗読する人も。
また息子、娘たちがお父さんの
好きだった歌を全員で合唱すると拍手喝采の嵐。
そしてジュディのお母さんが二人の出会い、
ロマンスを語って、一同しんみり。

お葬式が終わると教会の集会場に移動しました。
ケーキ、ドーナツ、フルーツ、紅茶、コーヒー、ジュース
が並べられていて、さながらちょっとしたお茶の会。
そこにも昨晩お通夜に来られなかった人たちの為に
故人のミニ展覧会が並べられていました。

ジュディのお父さんのたっての希望でお墓は作らないので、
火葬後の灰は、庭の大地に撒いて植樹するそうです。
私もお香典ではなく、植樹の木を買うお金を
いくらかカンパしました。

こんなお葬式は実はアメリカでも稀なことかもしれません。
でも、悲しいというより、亡くなった方の生をお祝いするという
意味に深く感銘を受けました。
心の底から暖かいものがこみ上げて来る大変
いいお葬式でした。

私もこの機会に自分のお葬式を考えてしまいました。
生をせいいっぱい生きて完結さすのがお葬式なんだなあ、と。

つゆこ

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