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のとちゃんこーなー Vol.7

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豊中生まれの原爆詩人

ローカル情報紙の「千里タイムズ」に掲載されましたので、紹介しておきます。
「豊中生まれの原爆詩人」「峠 三吉さんを学ぶ講演会・・・蛍池公民館」という見出しで、次のような記事が出ました。

※2004年の情報です

豊中に生まれ「原爆詩人」として知られる峠三吉さんについて学ぶ講演会が8月4日(水)蛍池駅西再開発ビル「ルシオーレ」5階にある市立蛍池公民館で開かれる。梅花女子大学や関西学院大学の講師・能登宏之さんがスライドや原爆映画の記録を交えながら、峠さんの足跡や平和への思いなどについて話す。時間は午後2時から午後3時半まで。
(中略)
問い合わせは同館電話06-6843-5561へ。

峠さんは1917年(大正6年)に豊能郡豊中村大字桜塚(現・豊中市岡町南1丁目)に生まれ、生後3ヶ月で広島へ転居した。
1935年(昭和10年)に広島県立商業学校卒業後、肺疾患の療養のかたわら詩作に励み、1945(昭和20年)8月6日、爆心地から3キロの自宅で被爆。
1951年には原爆の非人間性を告発した「原爆詩集」を発行するが、2年後の1953年に肺の手術中に36歳の若さで亡くなった。

詩集の序
「ちちをかえせ
ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつながる
にんげんをかえせ ・・・」は
有名で痛切な叫びが広く共感を呼んだ。

というような内容です。

峠さんが亡くなって、今年は51年目です。
広島では昨年、いくつもの会場で「峠三吉展」が開催されました。遅れ馳せながら、没後51年目の今年、生地豊中で、彼を紹介したいと思っています。

豊中市は1983年(昭和58年)に非核平和都市宣言を発表しました。そして翌年1984年(昭和59年)から始まった豊中市「平和月間行事」施行20周年になります。

私としては、初めてのテーマに挑戦ということで、現在、調べ事、スライド作成に夢中です。

今年の夏は、1972年、26期生の諸君を指導していた時のように熱く燃焼したいと思って取り組んでいます。

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