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タンネの思い出

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オリッパです。

昨年の同窓会以後HPを制作することになり、ちょくちょく「曽根」や「服部」に出向くことが多くなりました。長い間凍結していた思いが、皆の顔と町の風景とに癒され少しずつ溶けて行く思いを今感じております。でも、少し寂しかったのは同窓会のクラス写真を撮る時、カメラの前に並んだのは、僕と島野さんだけだったこと…。「大橋先生、元気ですか?」 「皆、何してんだぁ?」
今度の同窓会には、もっと大勢のクラス写真を撮れるようになりたいと思います。HPの母校情報の取材のため、3月のと或る日、何十年振りかに「一中」へ行ってきました。

校舎のたたずまいもそのままで、校庭の様子もほとんどそのままです。
母校情報にも載せましたが、野球のバックネットや、サッカーのゴール、走り高跳びのマットまでが、僕らの使っていたそのままそこにあって、思わず胸にグッとくるものがありました。校舎の中も、ゆっくり時間を掛けひとまわりしてきました。そこも、昔のままで石調の水道の流しを見て、「よくここで蛇口に口をつけて水を飲んだなぁ。」と昔のまんまのその姿勢で水を一杯ゴクリ。理科室の前の標本棚には、ホルマリン付けになったカエルが腹を突き出して今でもバンザイしています。「そういやぁ、カエルの解剖の時は、釘付けにしたカエルが暴れ出して大騒ぎしたことがあったなぁ。」と趣味の良くない僕はニヤニヤしながらカエルの標本に見入ってしまいました。技術の準備室も昔のままで、角材や金槌やらが所狭しと並んでいました。岡先生が角材の向こうから出てこないかビクビク、ワクワクしてしまいました。校舎が直角に折れる角の時計台のようになった階段を登って4階まで行ってみました。
僕が行った日は土曜日の正午頃で、ちょうど親子のふれあい授業のような「おやじの会」が催されていて、生徒たちもまだほとんど在校していました。
帰り前の掃除をしている時間帯で、3年生の男子生徒が廊下に水を捲いてデッキブラシとタワシで「アイスホッケー」をしていました。
その横にぞうきんを持った女の子が口を尖らせ顔を真っ赤に強張らせて睨みつけていました。

この光景を見たとたん、何故か僕は後退りしてしまいました…。女の子の制服は昔のままで、好きだったあの子の着ていた制服と同じ制服を今の女生徒も着ています。廊下を歩いていて「ひゅー」と風の様にすれ違う女の子を思わず振り帰って、遠い昔の残影を追い求めてしまいました。校舎から降りて体育館にむかう途中、中庭に石碑が立っていました。
昔はこんなのあったかなぁと思いながらそこに書かれた文字を読んでみると「自ら考え 自ら行い 自ら責任を」と我が一中の校訓が書かれていました。
「そうだったんだ。この言葉が俺を縛り付けていたんだ。
人に言われるまま、それなりにやって、結果悪けりゃぁ人のせいにして生きていりゃぁ、もっと楽に人生きたものを…。変に自分でやろうとするもんだから、えらい苦労したもんだ…。」としばし石碑を眺めながらボヤいてしまいました。体育館も昔のままで、重い鉄の扉が朽ちかけそうにぶら下がっていました。
その奥には舞台の袖につながる階段があって、懐かしいなぁと思って見ていると、その階段に、夕日に照らせれてセピア色した若かりし僕とあの子の肩を寄せ合った姿が映しだされてきました。「そんなことは、なかったか?」
懐かしい思いを一杯胸に宿しながら曽根の駅前まで来ました。
駅舎は高架になり、駅前はすっかり変わってしまっています。
あの「タンネ」が無くなってしまったのは、本当に残念です。
中学を卒業してから、皆と会う時はこの「タンネ」だったように思います。暖炉の前の長椅子に座って君が来るのを長い間待っていたような気がします。でも、そこはどこか母親の胎内を思わせるような暖かさがあって、心穏やかにじっと待っていられたように思います。

今はもうこの建物はない 看板がかわいかったね2000年末に取り壊されたとのこと
懐かしいタンネ(写真提供:M.Taniuchi)

今日のところは、これぐらいにしたいと思います。
気持ちの中では思い出が一杯詰まっているのですが、また今度皆と再会し、少しずつそんな思いを語らい、共用できる思い出にと化粧(か)せればいいなと思っています。

皆、このHPを機会にどんどん顔を出そうね。
そして、しばし若かりし頃を取戻し、垂れかけた腹を元に戻してみようとは思いませんか。

2002.5.5
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