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のとちゃんこーなー Vol.1

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Web Masterさんのご配慮で「のとちゃんこーなー」なるものを準備していただきました。一応、「つれづれなるままに ソノ ひぐらし コンピューターに向かいてなにをや書かん。」ということで、何を書こうか思案にくれていました。

初めは、オリッパさんが提案してくれた26期生に関することやちょっと温かいエッセー風の記事を書きたいと思っていたのですが、なかなか思い出せなくてね。
結局、いろいろ考えた末に、やっぱり「歴史のお勉強」から始めたいと思った次第です。
そのうちに、皆さんの中学時代の作品でも載せたいと思っていますし、皆さんからの記事も取り込みたいなと考えています。
気楽に付合ってください。

今回は一中前史

皆さんの大好きな豊中市立第一中学校(以下一中と称す)は1947年(昭和22年)に創立したわけですが、これは第二次世界大戦の敗北により、学校教育制度が変更されて生まれました。

創成期は教室がなく、本校は岡町駅の北側にある克明小学校の体育倉庫のような教室で、その歴史が始まりました。その後、曽根に移ってきました。

この場所が現在の一中です。
ここには昭和12年開校の「私立曽根実業専修女学校」があったのですが、戦争の傷跡も生々しい状態で管理されていたのです。

この実業専修女学校は現在の阪急電車が経営母体でした。
阪急電鉄は戦前、百貨店の店員(現在では社員と言っています)を養成する学校を池田、塚口、曽根と3ヶ所設置しましたが、第1号が曽根でした。

このようなことは、地域の高齢者の方がよくご存知だと思います。
今日ここに記すのは、この学校設立の様子を伝える当時の新聞記事(各社3段から5段抜き記事)であります。

昭和11年12月27日付「昭和日日新聞」の見出し

「阪急の女店員学校
愈愈明春4月開校
3ヶ年でデパート娘を養成」

同日付け「大阪朝報」新聞の見出し

「百貨店が経営する
何でも御座れ学校
(ふりがなにデパートメント・スクールとある)

阪急の「曽根実業専修女学校」
3ヶ年で店嬢を養成
愈よ明春四月開校」

同日付け「大阪時事」新聞の見出し

「卒業 同時にデパートへ
授業料、学用品、通学電車賃も安く
阪急百貨店女学校近く誕生」

プレス発表ですので、記事はほとんど変わりません。ここでは「大阪時事」新聞の記事を紹介します。

デパートを実習場に当て、「学問と実地」を兼ねた理想的な実業女学校として今夏阪急が設立を発表した宝塚沿線曽根の実業専修女学校はこのほど神戸市立第二高女の教頭であった竹重隣一氏の初代校長事務取り扱いが認可され、工事も進んで木造二階建て校舎の骨組みも出来上がり、いよいよ明年2月竣工と同時に第一回生徒募集を行い、わが国では始めてのデパート娘養成所としてデビューすることになった。

同校の修業年限は3箇年、入学資格は尋常小学校卒業程度で、実業学校ではよく省かれる理科、家事の科目も取入れ、特に商事要項、簿記、タイプライティングなどの実質的科目に重点を置き、卒業間際の3箇月をお手のものの阪急デパートで実地練習を行い、手当を支給して卒業後は阪急デパート就職の優先権を与え、結婚適齢期まで愉快に働かせようという訳、それに通学には特別割引の乗車券を、また学用品はデパートからお安くなど、と至れり尽くせりの便宜が計られている。

なお、生徒の入学は前期(4月)後期(10月)の二期に分け初年度1学年100名、2学年(高等小学校卒業程度)若干名募集する。

このような記事でした。鉄道における近代的経営の基礎を築かれた阪急 小林一三社長は一方で 児童・生徒に対して早くからキャリア・サポートに取り組んでこられた立派な教育者であったと言えますね。

30周年記念誌の編集委員だった私は昭和50年前後に阪急池田文庫や卒業生からいろいろ取材をさせてもらいました。

卒業生は「このように生徒に対して手厚い運営をしてくださいましたので、当時の女学校としては入学困難校だったですよ」と懐かしく語られていたのが印象に残っています。

今日の授業はここでおしまいです。

生徒いわく「あーぁ、眠たかったノー」
 
 
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